「ポルノグラフィティのオールナイトニッポンスーパー」を聴いていたので記憶にある事すべて書く

記事タイトルの通り

ポルノグラフィティオールナイトニッポンスーパー」を聴いていたので記憶にある事すべて書き出します。

 

 

はじめに

 

もう20年ぐらい前のラジオ番組なので

今の熱心なポルノファンの中にも(復活放送を除き)聴いたことがない人は多いと思います。

 

私は偶然にも聴いていました。

遠い昔のことなので記憶が曖昧になっていますが

覚えている限りの事を書きます。

(事実だけでなく感想も書きます)

録音はないし本当に記憶が曖昧なので間違っていたらすみません。

 

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写真と本文は関係ありません

 

ポルノグラフィティオールナイトニッポンスーパー」とは

 

詳しくはウィキペディア参照。

 

ポルノグラフィティのallnightnippon SUPER! - Wikipedia

allnightnippon SUPER! - Wikipedia

 

当時のニッポン放送は夜10時~12時の枠で「オールナイトニッポンスーパー(以下ANNS)」という10代向けの番組をやっていました。

(ポルノの時は20代前半ぐらいのリスナーの投稿も読まれていたと思いますが

ANNS自体は中高生向けという感じでした)

 

パーソナリティ(番組でしゃべる芸能人)は曜日ごとに異なりますが、ポルノグラフィティは水曜日でした(今ウィキペディア読んで思い出した)。

放送期間は2001年1月から2003年3月(これも今ウィキペディアで知った)

私が聴いていた時期は(はっきりとは覚えていませんが)2001年1月か2月から2002年3月ぐらいまでだったと思います。

てっきり2000年秋か冬に放送開始だと思い込んでいましたが、違ったんですね。

私が「サウダージ」で初めてポルノグラフィティを知ったのですが、他局(ラジオ)の番組で知ったんだとこれで判明しました。

 

私がこの番組を聴いたきっかけ

あまり覚えていませんが、興味本位でラジオのチャンネル(周波数)を合わせるつまみ(って言うの?)を動かしていたらニッポン放送を受信しました。

もしかしたら他のパーソナリティの回だったかもしれないけど、ANNSを受信しました。

 

気がついたら自室で何かするときに流すようになっていました。

 

・・・「ラジオのつまみ」って若い皆さんは分かりませんよね!?

今のラジオはテレビ同様リモコン操作で簡単にチャンネル変えられるし!

っていうかそもそもラジオ受信機を持ってない!?

 

世代を問わず分からない方に説明します。

当時私が持っていたラジオは、リモコン操作ができなかったんです。

(ネットで詳しい説明を探してみたけど見つかりませんでした・・・)

 

とにかく!

偶然受信したことがきっかけでポルノグラフィティオールナイトニッポンスーパーを聴くようになったんです。

 

この番組で初めてポルノグラフィティというバンドを知った・・・というのは思い込みでしたが(先述の通り他局で既に『サウダージ』を知っていたため)

この番組のおかげでメンバーの名前と声を知ることができました。 

 

メンバーの印象や役割

 

ルックスについて思ったこと

 

ラジオなので顔を全然知りませんでした。

初めて顔を見たのはCDのジャケットかテレビです。

そのときのことはあまり覚えていないけど「みんなイケメン」とは思ったでしょう。

 

メンバーの呼ばれ方について

 

番組にはネタ投稿コーナーがいくつかあったのですが、リスナー達は全員を「さん」付けで呼んでいました。

(呼び捨てやニックネームで呼ぶリスナーはいなかったと思いますが、これも記憶違いかもしれません)

Tamaさんに関しては当時から「タマちゃん」と呼んでいたリスナーもいたかもしれませんが、全然思い出せません。

私が3人を「さん」付けで呼んでいるのはこの番組の影響です。

番組内で本人達から「『さん』付けで呼んで」といった呼びかけはなかったと思います(私の記憶にないだけか、聴いてなかった回に言ってたのかもしれませんが)。

もしかしたら番組スタッフが投稿を添削して、呼び捨てしている投稿でも「〇〇さん」に変えていたのかもしれません・・・。

 

 

ラジオでのメンバーの役割について

昭仁さん&晴一さん

ラジオでは

・昭仁さんは司会者みたいな役割

・晴一さんはアシスタントみたいな役割

って感じでした。

 

昭仁さんが司会進行をしていて、晴一さんが話し相手になる感じでした。

メインで話すのは昭仁さん、晴一さんは昭仁が言い足りなかった事を補うアシスタントみたいでした。

(この辺の記憶も曖昧です)

 

Tamaさん

当時はTamaさんもいましたが、他のふたりに比べてしゃべっていなかったと思います。

決してサボっている感じでもハブられてる感じでもなく、番組進行に必要な事は他のふたりがしゃべってくれるから発言が少なくなっちゃっただけかと…。

 

他のふたりが「タマはどう思う?」みたいに話を振ってくれていたと思います。

 

しかし記憶が曖昧・・・。本当はもっとしゃべっていたかもしれない。

 

TamaさんってライブのMCではよくしゃべっていたらしいし(ネットの口コミより)、MCでしゃべるなら2時間の生放送でもたくさんしゃべりそう・・・。

歌番組と違い自分達が番組のホストなんだし、もっとしゃべってそう。

これに関しては私の記憶が間違ってるかもしれません。

 

あとTamaさんは当時「シラタマ」を名乗っていましたが自己紹介では毎回「ベースのタマです」って言っていました。

だから芸名を知ったのはもう少し後でした。

「タマ」って呼ばれてるのを聴きながら「猫みたいな名前だなぁ」って思っていました。失礼しました。

 

芸名は多分CDジャケットで知りました。

本名が白玉雅己であることを知らなかったので「なんでこの人はシラタマって名前にしたんだろう?」って疑問でしたw

・・・すみません余計な話でした。

 

私にとって目立っていたメンバー

私の中で目立っていたのは司会者役を果たしてたくさんしゃべっていた昭仁さんと、あまりしゃべってなかったTamaさんでした。

 

晴一さんは有能なアシスタントだったゆえ目立っていませんでした(←私がひどい)

思い返せば毎週のようにラジオ聴いていたのに晴一さんがどんな人物か分かってなかったな…。

Pg'zを今年初めて読んで当時考えていた事や、音楽への愛と情熱を持って活動していた事を知りました。

ホームページは一人でやるから周囲との調和とか考えずに思い切り自分を出せたのかもしれません。

 

広島弁について

これも記憶が曖昧なのですが、この番組では広島弁をほとんどしゃべってなかったと思います。3人とも。

 

というのも自分が方言のない地域で育ったから。

彼らが広島弁全開でしゃべっていたら確実に印象に残っていたはずなんです。

実際、今年初めて聴いた『カフェイン11』では晴一さんが一人で話していましたが方言全開で驚きました。

しょっちゅう「~じゃけぇ」や「~けぇ」って言ってましたがオールナイトニッポンスーパーでは誰もこういう言葉遣いはしていなかったはず・・・。

 

広島弁の記憶がないってことは、しゃべっていなかったという事ではないかと。

ラジオ聴いてて「この言葉の意味が分からない」っていうのは(記憶の限りは)ありませんでした。

 

しかし晴一さんが当時やっていた自作ホームページを読み返すと(このブログでたくさん紹介しています)、語尾が「~じゃけぇ」とか「~じゃろう」とかになっているんですよ。

 

ANNSもホームページも全国の人達を対象にしているという点は一緒でした。

ホームページでは方言アリでラジオではナシなのは変だし説明がつかないような・・・。

 

デビュー当時から「ポルノグラフィティといえば広島弁」みたいな感じだったらしいし(ネットの口コミより)、私が記憶してないだけでANNSでも広島弁しゃべってたかもしれません。

 

番組の主な内容

リスナーから投稿(ハガキとメール)を募集していました。

いわゆるネタコーナーが多かったです。

例えば「死にそうだった怖い体験」を募集する「Go Go Heaven」ってコーナーがありました。

 

今から思えば彼らの話のネタに限りがあるから、リスナーから投稿募集して読み上げていたのかも(1999年7月13日の日記参照)。

 

オールナイトニッポンだからか(あるいはAMの夜の番組だからか)下ネタも結構言っていましたねw

ラジオ聴いてないファンからすれば当時のポルノグラフィティって「ルックスも音楽もかっこいい3人組」だったかもしれないけど

当時の私からすれば「曲はかっこいいのに下ネタ言ってる大人達」ってイメージでしたw

 

当時、事務所の先輩である福山雅治さんもニッポン放送で深夜番組をやっていました。

ポルノは福山さんをお手本にして番組をやっていたのかもしれませんw

 

ちなみに当時の私はポルノがFMでも番組やっているのを知りませんでした。

知っていたらFMに乗り換えたかも。

FMは下ネタ禁止のところが多いので(例外もあると思いますが)。

 

レギュラーコーナーには広島東洋カープを応援するコーナーがあった

ご存じの通り3人とも広島出身のカープファンなので

全国放送だというのにこのようなコーナーをしていました。

 

当時も今も野球に関心がないんですが、人生で初めてカープの応援歌(カープカープカープ広島、広島カープ♪)を聴いたのがこのラジオです。

 

それまで広島は47都道府県のひとつ、カープは球団のひとつって感じでしたが

彼らが毎回カープの基礎知識をしゃべってくれるので、カープを少しですが知るようになりました。

 

確か「カープ設立の歴史」と「carpは単数形も複数形も同じ形」というのはこの番組で教わりました。

後年、広島の人と話したときに役立ちました。

 

このコーナーではリスナーと電話をつなぐ企画がありましたが

「もしもし」ではなく「カプカプ」という独自の挨拶をしていましたw

 

特別企画1「質問に答える特集」

 確か一度、2時間丸々リスナーからの質問に答えてた回がありました。

当時はウィキペディアがないから、今では簡単に答えが分かるような質問も読まれていました。

「バンド名の由来」とか。

 

他に覚えている質問は「路上ライブをするにはどうすればいいですか」でした。

音楽関係の質問にたくさん答えてくれた回でしたが、他の質問が思い出せない。

ああちょっと悔しい。

 

「質問」ではないけど新曲も(シングル、カップリング、アルバム問わず)たくさんかけてくれました。

って言うかそのためのラジオ番組ですねw

 

私が聴き始めた頃は「サボテン」のリリース直前か直後だったと思います。

「サボテン」は当時中学生の私にも理解できる歌詞でしたが、大人になった今聴くと主人公の反省や後悔が心にしみてきますね。

「foo?」のアルバム曲もオールナイトニッポンスーパーで聴いたかもしれません。

 

特別企画2「リスナー家庭訪問(定期テストの勉強を教えるという建前)」

2001年6月12日の日記で触れたのはこの企画だと思います。

ちょうど定期テストシーズンだったため

各曜日のパーソナリティが中高生リスナーの家にお邪魔して勉強を教えに行こう!

という特別企画をやってました。

 

もちろん「勉強を教えに行く」というのは建前です。

恐らくその週がスペシャルウイークだったから聴取率稼ぐためにこういう企画をやったんだと思います。

 

スペシャルウイークの解説はウィキペディアの「聴取率」のページをご覧ください。

 

ラジオには「聴取率調査週間」ってのがあるんです。

聴取率というのはテレビでいう視聴率です。

各ラジオ局は聴取率調査週間」をスペシャルウイークと呼んで

いつもは呼ばないような有名人をゲストに呼んだり、豪華な商品があたる抽選企画をやったりするんです。

(2018年12月以降、TBSラジオは『スペシャルウイーク』の特別な編成をやめました。*1よって全ラジオ局がやっているとは限りません) 

 

このときのANNSは「パーソナリティがリスナーの家に訪問する」というプレゼントをして聴取率を稼ごうとしたんですよきっと。

 (さっきから聴取率聴取率って言いまくってますが番組が創意工夫をして聴取率を稼ごうとするのは悪いことではありません

 

聴取率調査週間がちょうど中高生の定期テストシーズンと重なっていたからこんな企画にしたのでしょう。

 

生放送なので当然リスナーの家も夜中に訪問します。

夜10時から12時の間です(実際には9時台には既にパーソナリティとスタッフが訪問していたはずです)。

今から考えたら恐ろしいですよ。

平日の夜中に何人もの訪問客が来てラジオの生放送するんですよ。

よく親が許してくれたよねw

ありがたい親ですよ。

(先に書いておきますが、ポルノはリスナー宅では声量に注意してしゃべっていました)

 

ここまで読んで下さった皆さんはお気づきかもしれませんが

全然勉強なんてしませんでしたw

ポルノグラフィティに限らず、他パーソナリティもそうでした。

木曜日以降は馬鹿らしくなって聴いていなかったかもしれない。

こっちは塾もあるし「頑張らなきゃ」と思いながらそれなりに勉強しているというのに

「テスト勉強を手伝う」という名目で平日夜の遅い時間に民家を訪問している大人達が全然勉強を手伝っていない、当のリスナーも全然勉強しないんだもんw

 

・・・なんて書くと約20年前の番組にクレーム言ってるように見えますけど

今となってはどうでもいい事なのでクレームのつもりはありませんw

むしろ訪問を受けられたリスナーが楽しんでくれて、親も「有名人に会えた」などと喜んでくれて、ご近所に迷惑かけていなければ全然良くない?

最高のプレゼント企画じゃん!? 一生思い出に残るよ!?

・・・という風に思っています。

 

ちなみに私の記憶によるとポルノが訪問したのは男子中学生でした。

おそらく「パーソナリティと同性のリスナーしか訪問させない」ってスタッフが決めていたんじゃないでしょうか?

中学生の成績表を見せてもらっていたのは覚えています。

(具体的にどんな成績だったかは忘れたのでご安心ください)

さきほど「全然勉強しなかった」と書いたし結果的にそうなっていたのですが

「勉強しようとはしたけど、段々雑談が始まってしまい結局勉強しなかった」というのが正確なところだったとは思います。

「数学(だったかな?)なら俺いけそう」とか誰かが言っていたように思えるけど、残念ながらそんな事もなかったです。

高校を出た大人でも(卒業から)10年ぐらい経つと勉強って忘れるものなんだな・・・と思いましたw

実際、自分もそうなっていますねw

 

今から思えばあの企画は「勉強は他の日に頑張れ。1日ぐらい息抜きしよう。普段は話せない大人と話してみて刺激を受けることも大事だよ」という趣旨でやっていたのかもしれません。

 

その男子中学生、現在は30代ですが当時の事覚えているのかな?

 

おわりに

私が覚えているのはこんなところです。

思いのほか少なかったかな・・・。

当時を知らないファンの方々が楽しんでいただければ幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

【詳しい経歴をまとめてみた】ポルノグラフィティのインディーズ時代・年表

ポルノグラフィティのインディーズ時代の詳しい経歴をまとめてみました。

「年表・詳細版」です。

(細かいエピソードはほとんど削ぎ落しました。要所は押さえています)

もっと手短に知りたいという方は別記事の年表(簡易版)をご覧ください。

 

 

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写真と本文は関係ありません。

まるうさんによる写真ACからの写真

 

ポルノグラフィティ結成前】

1992年(高3)

秋:因島高校3年生だった昭仁さん・晴一さん・他2人と高専3年生だったTamaさんの合計5人でバンドをし、因島高校の文化祭に出演。

Tamaさんは高専でも友達とバンドを組んでいた。

 

1993年4月~12月(高卒1年目*1 18~19歳)

3人それぞれ異なる生活をしていた。

 

昭仁さん:大阪の予備校に入り寮生活。授業をサボってパチンコ屋に通ったり、寮の友達と遊んだりしていた。

勉強はあまりせず。ミュージシャンや歌手になろうとする意志はほぼなかった。

 

 

晴一さん:広島県福山市ビジネス系専門学校に進学。同市で一人暮らし

専門学校は夏前に中退する。中退後は同市でフリーター生活

 

入学直後に学校を続ける気をなくしてしまったため、退学後に何をするかを考える。

出た答えは「大阪に行ってバンドをする」だった。

前述のとおり大阪には昭仁さんがいたため、昭仁さんをボーカルにしてバンドを組みたかった(他のボーカルを知らなかったというのもあった)。

 

また、福山から因島に通ってTamaさんとふたりでバンドを組んでいたTamaさんが参加していた別のバンドにも参加させてもらっていた。

Tamaさんと2人のバンドではボーカルを公募したが納得のいくボーカルに出会えず、改めて昭仁さんをボーカルにしたいと思った。

また、Tamaさんと共にオリジナル楽曲の制作も始めていた。

 

 

Tamaさん:高専4年生。因島の実家で暮らす。

学業にやる気を失っていて授業にはあまり出席せず。そもそもあまり登校していなかった

 一方で(アマチュアだが)音楽活動は熱心に行う

 複数のバンドに参加し、前述のとおり晴一さんとも2人でバンドを組む

 

作曲も始めていて、他のアマチュアバンドに楽曲提供したこともあった。

2019年現在もライブのアンコール定番曲である『ジレンマ』もこの頃に作曲

広島県内の様々な大会に出場し、ある大会ではベスト・ベーシスト賞を受賞

県内の大きな大会にも出場していた。

 

このように音楽活動にはやる気が高く、ミュージシャンを志す

大阪の音楽専門学校への進学を考える(※実際は大阪に住みながら、京都にある音楽専門学校に進学した)。

晴一さんもこの年の冬(1993年12月~1994年2月ぐらい?)に大阪行きを考えていて、「大阪に行くなら一緒に住もう」とTamaさんを誘った(家賃や光熱費を折半できますしね)。

 

ポルノグラフィティ結成1年目】

1994年(19~20歳)

2月:Tamaさんが音楽専門学校に進学するために家出を決行する。

因島の友達が大阪に住んでいたため彼の家に4月まで居候。

この2ヶ月間に入学手続きやアルバイトをする。高専は中退

・昭仁さんが大学に補欠合格する(3月かもしれないが)

 

4月:晴一さんとTamaさんが大阪に家を借りて引っ越す

昭仁さんが大学に入学する(きちんと通学したのは入学後1ヶ月ぐらい)。

晴一さんがスナックのバーテンダーのアルバイトを始める

Tamaさんが京都の音楽専門学校(1年制)に入学する(真面目に勉強した)。

3人プラス因島の友達1人&晴一さんのいとこ(高3秋の文化祭で一緒にバンドをした2人)の合計5人が大阪で再会。バンドを結成するが、このバンドはほとんど活動しないまま2人が脱退する

 

(ここからインディーズ時代・大阪編がスタート)

夏ごろ:3人とドラマー(1人目)の4人でポルノグラフィティを結成

当時のドラマーはTamaさんの専門学校のドラム科の人だった。

ウィキペディアによると中尾天成さんという方。

2019年9月8日にはポルノグラフィティの20周年をお祝いするツイートをしていました。

 中尾さんはわりと積極的にポルノグラフィティに居た当時のことをツイートしています。ポルノファンとツイッターでやり取り(リプライ)することもあります。

そういうわけで当ブログでもツイートを紹介させていただきます。

  

10月(?)*2:ライブハウスで初めてのライブを行う。

会場は梅田の「バナナホール

ポルノグラフィティ目当ての観客数は30人ぐらいで、因島の友達と昭仁さんの大学の友達が観に来てくれた。

 上のポルノファンのツイートによると収容人数は約700人。

「30人」というのはポルノグラフィティ目当ての観客数のことを言ってたんだなとこのやり取り見て気づきました。

 

 

 

11月:古川橋のライブハウス「ウッドペッカー」で2度目のライブ

 

11月以降:デモテープを録り、ライブハウスやレコード会社に送る

(テープには『ジレンマ』も入っていた)

その結果「ミューズホール」というライブハウスに認められ、月1回ライブをさせてもらえるようになる。

某レコード会社の面接に呼んでもらえたが落選する。

 

【結成2年目】

1995年(20~21歳)

【当時の肩書き】

・昭仁さん:大学生(授業にはほとんど出ない)

・晴一さん:フリーター(引き続きバーテンダー

Tamaさん:3月に専門学校を卒業し、フリーター。

 

夏:マチュアバンドが100組ぐらい*3出るイベントに出演。

ソニーの新人発掘スタッフから名刺をもらうが、このときは進展がなかった)

 

開始時期不明:「城天(しろてん)」と呼ばれる大阪城公園歩行者天国*4路上ライブを始める。

城天は路上ライブな盛んな歩行者天国で、他にも多くのバンドや歌手が路上ライブをしていた。

 

 

 

秋:城天で活動していた4バンドでライブイベントを開催する

会場名は「江坂ブーミンホール」

 

11月ごろ:心斎橋筋2丁目劇場吉本興業の劇場)でお笑いライブの合間に演奏させてもらえるようになる。

上記の活動のおかげでファンが増えていった。

 

中尾さんは2013年のブログでも2丁目劇場の思い出話をされている。

ameblo.jp

 

 

12月:小さいライブハウスで初のワンマンライブを開催。

会場名は「フリーバード」

このライブからドラマーが2人目に交代。参考文献(後述)の情報を合わせると以下のような人だと分かる。

 

・他3人よりも2歳年上

・楽器店のドラム売り場の店員

『ワイラノクロニクル』にはライブハウスの店員と書かれいているが、『ギターマガジン』によれば、小さなライブハウスみたいな場所が付いている楽器店の店員だった。

・城天に出ているバンドの人*5

(上記2点を合わせて考えると、楽器店で働きながらバンドでドラムを弾いていた人

・この方が店員だったため、店長が無料で練習場所を貸し出してくれた(水曜日と日曜日の夜のみ)。

 

【結成3年目】

1996年(21~22歳)

【当時の肩書き】

・昭仁さん:4月(?)に大学を中退しフリーター。

・晴一さん&Tamaさん:引き続きフリーター。

 

7月20日:2度目のワンマンライブ。会場は「ミューズホール」。観客数250人。

ファンが増えている実感があった。

 

 

 

夏:色々なコンテストに出場。優勝を目指していたが最高で2位止まりだった。

テレビの勝ち抜きオーディション番組にも出るが1回戦で敗退。

 

11月:NHKのバンドコンテスト番組「BSヤングバドル」全国大会に出場

入賞できず。本人達が後に知った理由は、ポルノグラフィティは今が絶頂期だから賞は将来性のあるバンドに与えたというもの。

 

秋から冬あたり:ソニーのオーディションを受ける。

 

【結成4年目】

1997年(22~23歳)

1月ごろ:ワンマンライブをすることが決まる。

ただし皆のモチベーションが最悪な時期で、解散も考えていた。

 

3月:前年にソニーのオーディションを受けていた関係で、再びオーディションを受けさせてもらえる(直接東京本選に参加させてもらえた)。結果、合格。

ソニーへの所属が決まる。

 

4月27日:アマチュア時代最後のワンマンライブ

会場は「心斎橋クラブクアトロ

ソニーの力を借りず自分達の手で開催させた。観客数550人。

 

5月:芸能事務所が決まる。この頃にドラマーが脱退。3人編成になる。

 

8月:エルマガジン*6の野外イベントに出演。

 

(ここからインディーズ時代・東京編がスタート)

9月下旬:上京する。ライブも行う。

 

以降、3ヶ月に1本ぐらいのペースでライブをする。

音楽活動に専念するためにアルバイトは禁止された。安いが月給が出ていた。

(給付型奨学金をもらいながら大学や専門学校に通っている学生みたいな立場だな、と思いました)

デビューに向けて曲作りの期間が始まる

 

【結成5年目】

1998年 (23~24歳)

詳しい月日不明:初めてプロデューサーがつき、楽曲提供を受ける

初代プロデューサーは"Ryo"こと作曲家の吉俣良さん。

ほどなく本間昭光さんにプロデューサーが交代。

 

5~6月:大阪でライブ

10月~12月(?):北関東で対バンライブツアー。レコーディングも行う。

 

【結成6年目/デビュー1年目】

1999年(24~25歳)

1月:大阪・東京でワンマンライブ

1~3月:レコーディング

3月:初のレギュラーラジオ番組を持つ(1999年6月16日の日記にも登場)。

5~6月:「中西君」の家でプリプロ(デモテープ制作)

1999年6月1日6月29日の日記にも登場

6月:晴一さんが個人ホームページ"Pg'z"を開設。日記の連載を始める。

7月~:忙しくなる

9月:メジャーデビュー

 

参考文献

『B-PASS SPECIAL EDITION ポルノグラフィティ ワイラノ クロニクル THE HISTORY of PORNO GRAFFITTI from INNNOSHIMA』

(2001年3月初版/取材当時は2000年 出版社:シンコーミュージック

ファンの間では『ワイラノクロニクル』あるいは『ワイクロ』と呼ばれている公式の本。

デビュー2年目の彼らに因島の子ども時代~青春時代やインディーズ時代、デビューしてから2000年(取材当時)までの事をインタビュー。

 

非常に詳しくて長い。当記事に反映させなかった小話も非常に多い。

(当記事では『わりと詳しめの略歴を比較的短い時間で読み終えられるように書く』のを目標にしたため)

 

メンバーの写真も豊富。みんな若い(←当たり前だ)

『アポロ』から『サボテン』までのシングルのリリース当時インタビュー、アルバム『ロマンチスト・エゴイスト』リリース当時のインタビューも収録。

B-PASSによるライブレポートも収録。

 

とにかく情報量が豊富。

写真も多いけど文字の方が多い。読み応えがありました。

定価は税抜き2000円ですが、もし今が発売当時だとしたら「2000円払う価値がある」と判断して定価で買っていました。

(今は古本で売ってて、もっと安いです)

そういうわけで今ファンなら当時を知らない方も楽しめます。

 

『GUITER MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES 新藤晴一 ポルノグラフィティ』

(2019年1月初版/取材当時2018年 出版社:リットーミュージック

ギターの事を中心に新藤晴一さんを取材したムック。

ファンの間では『別冊俺』という通称で呼ばれていますが当記事では『ギターマガジン』と呼んでいます。

 

因島の中高生時代から現在(※2018年)に至るまでのロングインタビューが収録されていて、当記事を書く上で参考になりました。

 

当記事には反映させませんでしたが、上京してからデビューするまでの期間の事は「今だから言える話」が多いなと思いました(デビュー直後の話も同様)。

 

こちらも写真豊富、文字量はもっと豊富だったので定価(税抜き2500円)払って買ってよかったなと思いました。

私はギターに興味も知識もありませんが、インタビューは読んでいて面白かったです。過去に掲載されたインタビューも再録されていて楽しめました。 

*1:Tamaさんのみ高専4年生

*2:本人達の記憶も曖昧

*3:『ワイラノクロニクル』より。『ギターマガジン』(通称『別冊俺』)では50組と言っているため、正確な数字がはっきりしない。きちんとした記録がない時代なのでやむを得ない。

*4:JR大阪城公園駅と大阪城ホールを結ぶ道

*5:そのバンドを辞めてポルノに移籍したのか、それとも他バンドとの掛け持ちでドラマーをしていたのかまでは不明

*6:関西を代表する地域情報誌。2008年休刊

ポルノグラフィティ新藤晴一さんが1999年6月~2005年9月まで運営していたホームページ"Pg'z"の日記を読む方法

【この記事は2019年10月15日に全面改稿しました】
Pg'z(アーカイブ)のURLだけ手っ取り早く知りたい方は目次から飛んで下さい。

 

 

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写真と本文は関係ありません。

photoBさんによる写真ACからの写真

  

はじめに -Pg'zとは-


ポルノグラフィティ新藤晴一さんがデビュー直前の1999年6月~2005年まで運営していた個人ホームページ("Pg'z"という名前)があったのですが、2016年にサーバーのサービス終了で消失してしまいました。
しかしアーカイブがネット上に残っているので今も読めますよ
HP内の日記が面白いですよ
ポルノが『サウダージ』や『アゲハ蝶』『メリッサ』など多数のヒットソングを出していた時期に書かれリアルタイムで公開されていた日記だから尚更面白いですよ
 
という事を書きました。

 

Pg'z自体は2016年3月に消失。だがアーカイブが残っている

 

前述のとおり2016年3月にサーバーのサービスが終了してしまったため

現在はURLにアクセスしても見られません。

 

ですが幸いアーカイブが残っていたので現在でも読むことができます。

「インターネット・アーカイブ」という海外の非営利団体があり、一言で言えば「ウェブサイトの図書館」です。

今あるサイトが更新や消失で読めなくなった場合に備えてサイトの内容をアーカイブ(収集・保存)しています。

幸いにもこの団体がPg'zもアーカイブを取っておいてくれていまいた。

 

そういうわけでアーカイブのリンクを貼ります。

  

Pg'z(※アーカイブ)へのリンク

 

"Pg'z"memo(初めて見る人向けのあいさつ文 2015年8月1日付アーカイブ)

"Pg'z"diary(2005年9月の日記 2015年8月1日付アーカイブ)

 

【これがメインコンテンツ】

"Pg'z" diary backnumber(1999年6月~2005年8月までの日記 2015年9月1日付アーカイブ)

 (このページから各年の各月をクリックすると、その月の日記一覧が表示されます)
 

haru☆jp

(2005年9月からのブログ。今でもアクセス可能)
 
アーカイブのURLさえ分かればいいという方は、以下は読む必要ありません。
ここまで読んでいただきありがとうございました)
 

インターネット・アーカイブを使って"Pg'z"を探し当てた具体的な方法

以下の別記事にまとめました。

 

Pg'zの歴史、サイトマップ、写真が見られるリンク集など

 

別記事にまとめました。

junefirst1999.hatenablog.jp

 

そもそもどんな内容なのか? -Pg'zの日記をテーマ別に分類-

一言で言い表すのは難しいのですが

テーマ別に日記を分類してまとめています。
 
【現在公開中の「テーマ別日記解説」】
デビュー曲『アポロ』への反響、『サウダージ』『アゲハ蝶』のヒットチャート順位をどう考えていたか、『サボテン』への思い入れ、『ヴォイス』作詞裏話など。
 
作詞への強い思い入れと自負、産みの苦しみがうかがえる。
 
ギターが大好きであることが伝わってくる。ホームページ運営当時使っていたギターの名前が分かる。
 
ライブも大好きで、情熱を抱いていたことが伝わってくる。
ツアーについての日記もここにまとめた。
 
 
(※全部載せると長くなるので他のテーマは省略)
 
 
今後も音楽活動に関係の深いテーマから順々にまとめていく予定ですが
一記事書き終わるのに非常に時間がかかりますので、待てない方は自分で読んだ方が早いと思います・・・。
 
Pg'zは晴一さんの私的なホームページ*1として開設・運営されていて「音楽活動の詳しい情報は公式サイトをどうぞ」という方針でした。
 
ですがデビュー直前に始めたという事もあってか音楽活動の話はかなり多かったです。
「私的なホームページ」なので趣味や旅行など仕事とは関係ない話もたくさん載っていました。
 
 

「リンクお断り」(memoより)について

memoには

このページ自体はオフィシャルのものではありませんが、内容にはその類のものも含まれていますので、無断での使用をお断りします。同じ理由でリンクもお断りしています。

 

と書かれていました。

だから本来こうしてリンクを貼るのは利用規約(そういう名前じゃないけど)に違反しているのでしょうが

・ホームページが2005年9月以降更新がないこと

・ホームページが既に消失していること

を考慮して「リンク禁止の要請は無効」と判断しリンクを貼ることにしました。

 

無断リンクを禁止する法律は日本にはない

また、以下のサイトによると「無断でリンクを貼ってはいけない」という法律は日本に存在しません。

storialaw.jp

例外的に違法になるケースもありますが(リンク先参照)当ブログは該当しません。

 

そういうわけで貼らせていただきましたが

万が一晴一さん側から当ブログの削除要請などを受けましたら速やかに対応致します。

 

おわりに


利用規約」には反していても、どうしても日記を紹介したいと思いブログ開設に踏み切りました。

インターネット・
アーカイブは、サイトのアーカイブの削除依頼も受け付けています(参照 ※下にスクロールすると記述が出てくる)
ただし、サイトの運営元からの要望に限ります。

もし新藤晴一さん本人が、自分の旧ホームページがアーカイブされていることに気が付いたら削除依頼を出すかもしれません。
ですが、貴重な史料ですので、どうか削除依頼は出さないようにお願いします。
 

サイトマップポルノグラフィティ関係の記事

迷子になったらアクセスして下さい。

junefirst1999.hatenablog.jp

*1:身元を明かしてホームページをやっている以上公的も私的もないと思うのですが少なくとも運営当時のご本人はそういう認識でした。

 
私的と言っても当時のポルノグラフィティ公式サイトにはPg'zへのリンクが貼ってありましたし
日記によれば事務所スタッフもPg'zの存在をもちろん把握していました。
当時のマネージャーが掲示板に書き込んだこともあったと某日の日記にも書かれていました。