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運営者プロフィール(別記事)

 

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junefirst1999.hatenablog.jp

 

当ブログが初めての方へ

当ブログが初めての方はまずこちらの記事からお読みください。

目次の「はじめに」の文章だけでもOKです。

タイトルポルノグラフィティ新藤晴一さんが1999年6月~2005年9月まで運営していたホームページ"Pg'z"の日記を読む方法』

junefirst1999.hatenablog.jp

当ブログの主旨はすべて上の記事にあります。

"Pg'z"とは*1左の脚注をご参照の事。 

 

 当ブログの主な内容

カテゴリー「テーマ別日記解説」

日記をテーマごとに分類してご紹介。

音楽活動に関係の深い事から中心に取り上げていく予定。

【現在公開中のテーマ】(※随時更新します)

「シングル」

「アルバム」

「作詞」

(作詞関連『このときの経験・思索が基であの歌詞が生まれた』

「ギター」

「ライブ」

「岡野昭仁さんとTamaさん」 

「インディーズ」

(インディーズ関連記事:活動内容&簡易版年表詳しい年表

「Pg'z制作と運営」 

 

【これから執筆・公開したいテーマ】

(一記事を書き上げるのに非常に時間がかかるため、気長にお待ちいただけるとありがたいです。

あと、あくまでも予定です。公開されない可能性もあります)

「ライブ」

「アルバム」

「インディーズ時代」

岡野昭仁さんとTamaさん」

「スタッフとサポートメンバーの支え」

「ホームページ制作・運営」

「ラジオ」

etc.

 

【番外編】

Tama(白玉雅己)さんの略歴・旧プロフィール・旧ブログ・現在のSNSの紹介

 

junefirst1999.hatenablog.jp

Tamaさんのソロ活動時代(2005年~2010年)のブログ(アーカイブ)と
ポルノグラフィティ時代の公式プロフィール(1999年当時)のアーカイブ
リンクを紹介しました。

 

「感想文」

読んで感動した・面白かった回の感想文。

私の雑記みたいな感じになっている。

増えてきたらカテゴリー化予定。

 

「Pg'zを読む時に注意していること」

「この日記に書かれていない出来事もたくさん起きていた(のではないか)」など、私が読み進めるにあたって気を付けたことを簡単にまとめました。

日記は実話だけど100%真実だとは限らないと言いたかった。

 

 

当ブログの記事は不定期的に加筆修正します。

後で読み直したい方は保存をおすすめいたします。

*1:ポルノグラフィティ新藤晴一さんがデビュー直前の1999年6月から2005年まで運営していた個人ホームページ、特にページ内で連載されていた日記を指す。

タイトルの"Pg'z"はトップページの抽象画のようなイラストに書かれた言葉。

2019年8月時点でツイッターを検索したら多くのファンがこの言葉でホームページを呼んでいた。

よってこれがタイトルだと判断。読み方はおそらく『ピージーズ』。

ホームページ自体は2016年3月に消失したが、アーカイブされているため現在も読むことができる。

詳しいことはhttps://junefirst1999.hatenablog.jp/entry/2019/08/24/142025の記事にまとめたのでご参照を

【テーマ別日記解説】ホームページ(ポルノグラフィティ新藤晴一さんが1999年~2005年に運営していた個人ホームページについて本人がリアルタイムで書いた事)

ポルノグラフィティのギター新藤晴一さんは

1999年6月(デビュー直前)から2005年まで自作ホームページ"Pg'z"を運営し日記を連載していましたが

当時は非常に珍しかった「芸能人本人によるホームページ制作と運営」について書かれた日記を一覧表にしました。

(あくまで個人の調査結果です。見落としや間違いがあったらすみません)

 

 

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写真と本文は関係ありません。



1999年当時の「コメント」

ホームページ開設当時にUPされたもの(アーカイブは2000年6月22日付)。

いろんな人たちとコミニュケーションをとることは「伝えれてなんぼ」の作品を創る上でとても重要だと考えてホームページ制作に興味を持ちました。デビューをすればオフィシャルなページが立ち上がる事があるかもしれませんが、もっと個人的なことを個人的に表現できる場を作りたいと思ってます。

と、ホームページ開設の動機を語っている。

 

日記一覧

1999年

6月~7月

1999年6月6日

ホームページの制作について。自分のことをパソコン初心者だと言っている。

 

1999年6月16日

日記によるとこの日にホームページが公開された。

日記は99年6月1日から始まっているが、ネットに公開する前から書いていたという事かもしれない。

 

「パソコンもってる友達」という記述があるが

当時は20代でも「パソコン持ってない友達」が珍しくはなかったのではないかと思われる。*1

 

「ヤフーに登録」とは?

「ヤフーに登録」の意味は

96年当時の「Yahoo!JAPAN」トップページ再現 「COOLサイト」も - ITmedia NEWSを参照の事。

ヤフーは4月26日、「Yahoo!JAPAN」がスタートした1996年当時のトップページを再現したページを公開した*2。「Yahoo!JAPAN」のロゴの下に検索窓と14のカテゴリが並ぶシンプルなサイトだ。

96年4月1日の「Yahoo!JAPAN」公開から20周年を迎えたことを記念し、当時のページを可能な限り再現した。

メインコンテンツは「キーワード検索」と「ディレクトリ検索」(現在のYahoo!カテゴリ)だ。それぞれ、人力でサイトを探して登録する「サーファー」の手で整理され、「カテゴリ」に登録されたサイトを検索できた。

 まだきちんと調べていないのですが、1999年当時はまだGoogle検索エンジンが実用化されていなかったと思います(間違っていたらすみません。そんな話を聞いたことがあります)。

そういうわけで「ヤフー(のカテゴリ)に(HPを)登録」だったのです。

 

1999年6月29日

ホームページ作りにも慣れてきて、掲示板の書き込みにお礼を言っている。

ヤフーに登録したのが反映されていなかった様子ですが、翌月2日に登録してもらえています。

 

1999年7月13日

掲示板の書き込みに反応している。

この時既に『BSヤングバトル』と『Break Out』の話題が書き込まれていた。

何のことか分からない方は当ブログの「インディーズ時代#補足」を参照の事。

 

9月

1999年9月5日

歌番組『HEY!HEY!HEY!』の収録(初登場)。

リアルタイムでホームページを更新したいが携帯電話を持っていないのでできない、と書かれている。

1999年9月ってまだ、携帯電話を持っていない20代社会人がいた時代だったんだ・・・と思いました。

リアルタイムで更新はできなかったものの

晴一さんはパソコンを楽屋に持ち込んでこの日記の原稿を書いていました。

写真はこちらのリンクから見られます。

みんな若い!

そしてモニター(テレビ?)が黒い箱の形でブラウン管(?)であることに時代を感じました。

 

1999年9月24日

掲示板の質問に答えている(愛犬"スゴロク"の写真はこちらのリンクから見られます)。

この当時芸能人にネットで直接質問できるのは珍しいことだった。2010年代を先取りしている感じ。

ネットの口コミによれば、ホームページ開設当時は晴一さんが掲示板によくレス(返信)をくれることもあったらしい。

 

1999年9月27日

初めて携帯電話を持ち、当時未発売だった『サボテン』の着メロを自作した。

若い皆さんはご存知ないと思いますが

1990年代後半~2000年代初頭の携帯電話・PHSには

着メロ自作機能がついているものもあったのです。

 

10月~12月

1999年10月6日

全国キャンペーンで長い間留守にしていたので、事務所スタッフに掲示板の印刷を頼んでいた。掲示板の投稿とメールの膨大な量にびっくりしている。

 

若い方の為に念のため解説しますが、当時はスマホなんてないから出張などで長い間家に帰れなかったら掲示板のチェックなどができなかったのです。

とは言え一部のビジネスマン等は出張先でもメールチェックができるような端末を持っていたんじゃないかとは思います。調べてないから分かりませんが・・・。

 

この当時晴一さんは「レス」の意味を知らなかったことが判明。

ご本人も推測している通り「返信」って意味です。今は使いませんよね?

レスの意味を知らなかった人がホームページの制作と更新に挑んでいたのはすごいです(嫌味に聞こえるかもしれませんが、そのつもりは全くありません)。

 

この当時の掲示板は平和な場所だったのがうかがえる。

ネットの口コミによると時が経つにつれてマナーの悪い人が増えたらしい。

 

1999年10月20日

マネージャー「新井さん」が掲示板に書き込んでくれた。

このエピソードからもホームページが事務所公認だったことが分かる。 

 

1999年12月30日

この年のホームページ制作について語っている。

2000年問題」に何も対策していなくて焦っているが、翌年1月6日にホームページが更新されているため大丈夫だったよう。

 

2000年問題」とは?

2000年問題」という単語、久しぶりに読んだ。懐かしさを感じた。

何のことか分からない方は2000年問題 - Wikipediaを参照の事。

私には手に負えません。当時中学生だったのですが2000年問題が何か分かっていませんでしたw

当時パソコンを使っていなかったから関係なかったんです。 

 

2000年 

2000年3月13日

「思う事その1」でファンから自分のホームページのリンクを貼ってくれという依頼が来ている事を明かしている。リンク先を見て判断する時間がなかった様子。

 

因島住民によるファンサイト

因島のコマルさん」が運営するサイトにも触れている。

Pg'zの「リンク」というページには「因島ネット」というサイトのリンクが貼られていた。

因島ネット」内に「がんばれポルノグラフィティ」というページがありました。

0845.boo.jp

上のブログによるとコマルさんのファンサイト「がんばれポルノグラフィティ」は2019年限定で復活しています。

2019年11月現在アクセス可能。

見られるのはあと2ヶ月を切りました(予定変更のない限りは)。

2006年に更新終了。その後、ホームページのあったプロバイダーがサービス停止したため、消滅した。

2018年6月、小丸君の「ポルノグラフィティデビュー20周年を記念してホームページを復活させたい」という思いを受けて、ひっそりと公開。ひっそり過ぎて全然話題にならないので、宣伝します。小丸君の力作です。みてね。

出典:伝説の地元応援ホームページ「がんばれポルノグラフィティ」復活の巻 | かわよしblog

 

2000年6月24日

ホームページ1周年について触れている。

 

2000年6月26日

詳細は全く分からないのですが「メール友達になってくれないか」という企画をやっていたらしい(後述の7月9日の日記より)。

 

先に書いておくが、結局誰ともメル友にはならなかった2001年1月9日の日記より)

晴一さんの元に届いたメールの自己PRがバラエティに富んでいる。

・・・にしても、こんな企画やっちゃってよかったのか!?

(このホームページは事務所もレコード会社も公認していたので*3スタッフは当然知っていたはずです)

 

2000年7月9日

メル友募集企画について(続き)。

メールを読み切れていないのは数が多いという理由の他に、晴一さんが大嫌いなゴキブリが出たから。

 

2000年9月30日

マネージャー「新井さん」からもらったノートパソコンが壊れたため、新しいPCを買うと言っている。

 

2000年11月7日

iMacを買った。PC選びの知識が全くなく「この中で一番かしこいやつください」と店員に言ってお薦めされた物を買ってきた。

この記述からいわゆるパソコンオタクではなかったことが分かる。

ホームページ制作ソフトのDream Weaverも一緒に買ってきた。

(もしかして、これはホームページのリニューアルの『伏線』だったのかも)

 

2000年12月18日

キーボードに水をこぼして平仮名しか打てなくなった(PC買い換えたばかりで!?)

 

2000年12月12日

ホームページ制作ソフトを勉強する暇がない。

 

2001年 

2001年1月9日

メールをたくさんもらうが、返事を下さいと言われるが全員には書けないので誰にも返信しないことにした。

 

2001年2月26日

コンピューターウイルスに関する注意喚起。

ホームページでメールアドレスを公開していたので、ウイルスが添付されていそうなメールがたくさん来ていた。

 

2001年7月15日(タイ時間)

旅行先のバンコクからホームページ更新。

当時はまだ携帯電話がつながらなかったのでホテルのPCから更新した。

 

2001年8月8日

レコーディング先のニューヨークから更新。

 

2001年11月29日

ツアーが始まる前に掲示板を閉鎖していた。

 

2002年

2002年2月6日

詳しい状況は掴めなかったが、コンピューターウイルスに手こずっていた?

 

2002年5月15日

3ヶ月前にISDNの接続ができなくなっていたため更新が滞っていた。

(なんだかんだで3ヶ月間ネットを見られなくても生きていけたんですね!)

 

2002年5月23日

ホームページ更新はツアー前に集中する(本人談)

 

ホームページのリニューアルを実行

2002年10月14日

ホームページをリニューアル

URLの最後の"html"を間違えて"htm"に変更してしまった。*4

この時からトップページの画像が抽象画(?)になる。

リニューアル前にあった

「What's New」

「コメント」

「ポルノグラフィティ」 

「登場人物・その他」*5のページが削除される。

過去の日記に貼り付けた写真が全部消えてしまった。

(私が当ブログで紹介している『写真が見られるリンク先』はリニューアル前のHPのアーカイブです)

リニューアルのおかげで日記が非常に読みやすくなりました。ありがとうございました。

 

2002年10月15日

ホームページをリニューアル(続き)

前述の通りURL変わってしまった。

仕事でパソコンを使う同級生から様々なアドバイスをもらったが

パソコン用語「解凍」の意味を分かっていなかった。

(この辺りからもパソコンには強くない事がうかがえる)

 

2002年12月31日

来年もホームページを続けたいと書かれている。

 

2003年以降

2003年10月27日

パソコンを変えたばかり。掲示板廃止の予告もしている。

 

2005年1月18日

ホームページの更新が1年近く滞ってしまっていた。

デザインをリニューアルしてから日記を更新しようと思っていたら1年が過ぎてしまったと説明している。

 

2005年9月23日

試しにブログを始める。

2005年9月30日の更新を最後に、ホームページからブログに完全に移行した。

*1:2019年現在30代の私が20代前半の頃、歳の近い人達はパソコンオタクでなくてもPCを持っているのが普通でした。

本人が持っていなくても一家に一台PCがありました。

今やスマホの時代だから、『パソコン持ってない友達』も20代の方には普通にいるのでしょうね・・・。

*2:ニュース掲載当時。現在は見られません

*3:当時の公式サイトには晴一さんのホームページのリンクを貼っていたため。

*4:翌10月15日の日記参照

*5:スタッフ(今でいうポルノチーム)の紹介。ページの一番下では愛犬も紹介している。

【テーマ別日記解説】アルバム(ポルノグラフィティ新藤晴一さんが1999年~2005年に個人ホームページ上の日記に書いたアルバムの話)

ポルノグラフィティのギター新藤晴一さんは

1999年6月(デビュー直前)から2005年まで自作ホームページを運営し日記を連載していましたが

アルバムについて書かれた日記を一覧表にしました。

(あくまで個人の調査結果です。見落としや間違いがあったらすみません)

 

 

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写真と本文は関係ありません。

 

日記一覧 

1st Album『ロマンチスト・エゴイスト』

2000年3月発売 

 

1999年

1999年12月9日

アルバム制作のスケジュールについて

 

1999年12月30日

アルバムのジャケット撮影はこの日付の時点で終了していた。

 

2000年

2000年1月6日

この回はまるごとアルバムの話。レコーディングの真っ最中だった。

 

2000年1月8日

この回もまるごとレコーディングの話。楽しそう。

 

2000年1月16日

アルバムの曲順の話し合い。歌詞が出来上がるのが遅くなってきているという話も。

 

2000年1月27日

アルバムの「ミックスダウン」について。スタジオのスピーカーについて。

音響関係の裏話に興味あればお薦め。

 

2000年2月2日

アルバムがほぼ完成した。出来に大満足している。

 

2000年3月13日

「近況その2」がアルバムの話。発売直後。

 

2000年5月18日

ファンが独自に集計した「『ロマンチスト・エゴイスト』の中で好きな曲ランキング(投票した人のコメント付き)」をメールで送ってもらえて喜んでいる。

ちなみにこの回は主にニュージーランド旅行(人生初の海外旅行)の話だった。 

 

 2nd Album『foo?』

2001年2月発売

 

2000年

2000年11月27日

アルバム制作を進めている。

 

2000年12月16日

新しいギターをアルバムのレコーディングで使った。

 

2000年12月22日

収録候補曲について。タイトルをどうするかメンバーで話し合ったが決まらず。

曲名もそうだがタイトルをつけるのは苦手だと語る。

 

2001年 

2001年1月14日

レコーディングについて。

 

2001年1月15日

CDショップに行ったら手書きのリリース情報に「ポルノグラフティー『2ndアルバム タイトル未定』2/28」とバンド名を間違えて書かれていたという話。

 

2001年1月24日

アルバムの収録曲の95%まで録り終えた。

アルバムに(も)魂を入れることを大切にしているのがうかがえる。

 

2001年1月27日

レコーディングが終わりミックスダウンに入る。待ち時間に3人でゲームで遊ぶ。

 

2001年2月5日

ミックスダウンを終えてマスタリングという作業に入る。

マスタリングが職人芸だということがうかがえる。

 

2001年2月16日

自分達のラジオ番組でアルバム曲をオンエアーした。

原文を読んでもらえれば分かるけれども(だから引用はしない)、この時はまだポルノグラフィティが20年も続くなんて考えてもいなかった様子。まだ2年目だし。

「1曲たりともおろそかにしている場合じゃないな。僕ら」と考えている。

 

3rd Album『雲をも摑む民』

2002年3月発売

 

2001年11月4日 

来年リリース予定のアルバムのレコーディングをしたと書かれている。

 

4th Album『WORLDILLIA』

2003年2月発売。3人編成での最後のオリジナルアルバム。

 

2002年

2002年5月20日

この時から既に4thアルバムを視野に入れた作業を始めていた。

 

2002年10月27日

2泊3日の旅行から帰ったらラジオ、ラジオの後から本格的に4thアルバムのレコーディング開始。

 

2002年11月6日

この日から本格的にアルバムのレコーディング。

 

2003年

2003年1月8日

レコーディングの合間を縫って旅行してきた。

制作期間中はリフレッシュも必要だった。

 

2003年1月13日

明日がアルバム曲の最後の歌入れ。最後の2文が感動的だった。

 

2003年1月20日

この回は丸ごとアルバムの話。ミックスダウンの最中。

 

2003年1月30日

これからアルバムと「渦」のプロモーションが始まる。

 

2003年2月28日

アルバム発売直後。リスナーにどんな風に届いているか気になっている。

 

5th Album『THUMPx』

2005年4月発売。読み方は「サンプ サンプ サンプ」

2人編成で初のオリジナルアルバム。

 

2005年1月18日

新しいアルバムを作っているが歌詞の締め切りが憂鬱だと語っている。

(アルバムの記述は非常に短い)

 

感想

※例によって長文です。どうしても暇つぶししたい人以外にはおすすめしません。

 

アルバムに対する情熱と愛が伝わってくる日記の数々でした。

曲順へのこだわりに、私たちの見えないところでミックスダウンやマスタリングを支えるスタッフ達の努力や職人芸。

何よりも楽曲のクオリティ追求。

最新作が最高傑作だと思ってリリースしているところ(2003年2月28日の日記より)から、クオリティを追及しているのが分かりました。

 

1st『ロマンチスト・エゴイスト』の制作日記を読んでいたら

「あ~!ロマエゴ聴きたーい!!」ってなりました😁

「発売日が待ち遠しい!」と言いそうになった。19年前に発売してるのにね。

 

ちなみにこのアルバムはリリースから約半年後、私がポルノグラフィティの存在を知った頃に聴いています。

ちょうど、J-POPというか流行りの歌に関心を持ち始めた頃でした。

当時の感想は……残念ながらほとんど覚えていません。

あえて今も歌詞を読まないでいるのですが(再び聴いてみるまで読まないと決めている)

「あの曲のメロディーやサウンドって確かこんな感じだったっけ?」っていうのはうっすらと覚えています。

 

唯一覚えているのは『ヒトリノ夜』を聴いた感想。

このアルバムで初めて聴きました。『アポロ』も然り。

 

「そして今日もタイミングだけ外さないように笑顔つくってる」という歌詞を聴いて

当時中学生だった私は「まさに私の事じゃん!」と思ったのでした…。

 

今もこの曲大好きです。っていうかポルノグラフィティの中で一番好きです。

歌詞も曲も色あせない、2019年にリリースしたとしても確実に売れる曲だと思ってます。

 

『ロマンチスト・エゴイスト』は2010年代に入ってもファンから人気の高いアルバムですね。

(ネット上の感想や口コミで知りました。

彼らが25歳で出したアルバム、しかも大阪のインディーズ時代つまり二十歳の頃からの持ち歌も収録されているので内容が全体的に若いそうですね。

そういう訳で若いファンからの人気が高いのがうかがえました)

完成直後は晴一さんも大満足していました。

アーティスト本人からもファンにも愛された幸せなアルバムだと思います。

このアルバムは特に気になります。今度聴いてみます!

 

今の私は当時の彼らより年上だ…。

30代の私が聴いてどう思うのか…ちょっとドキドキです。

歌詞は合わなくても仕方ないかも(弱気発言)。曲は気に入ると思う。

 

2nd『foo?』と3rd『雲をも摑む民』はリリース直後に聴きました。

それ以来20年近く聴いていませんが

『foo?』収録の『オレ、天使』と『空想科学少年』の歌詞に心を揺さぶられたのは今でも覚えています。作曲もかっこよかった。

おそらく『foo?』で私はポルノグラフィティの音楽のファンになったんだと思います。

(翌年に高校生になったら関心を失ってしまい十数年経ってしまいましたけど)

 

当時も流行歌と言えばポジティブな歌詞のものか恋愛物が非常に多かったのですが

この2曲は後ろ向きな内容だったと思います。

だから「こういう歌を歌ってもいいんだ…!」って事にまず驚いたし

物語のような歌詞の世界にハマりました。

 

この2曲、今聴いたらどう思うんだろう…?

中学生だからハマったんじゃないかとも思ってしまう。

今の若いファンはこの2曲をどう思っているのか知らないけど、歌詞の内容から「中二病」と揶揄していたりしないかな…。

ハマったファンも中二病扱いなのかな? だとしたらちょっと寂しい。

今後聴いても再びハマることはなさそうですが

私にとっては非常に思い出深い曲達です。

 

 

『雲をも摑む民』は中学卒業直前にリリースでした。

関心を失う前にリリースしてもらえて本当に良かったです

(関心失うなよって話ですねw)

 

念のため書いておきますが、このアルバムにがっかりして関心を失ったとかでは全然ないです。

むしろ好きな曲が多かったです。

 

2002年に聴いて以来全く聴いたことがないアルバムなのですが

『敵はどこだ?』『クリスチーナ』『ニセ彼女』は今でもどんな曲だったか思い出せます。

最近『ニセ彼女』の歌詞をネットで見ながら、音源をかけずに(カラオケ屋ではなく家で)歌ってみたことがあります。

そしたら歌えました。

嘘っぽい?…信じてもらえなくても仕方ないですが本当です。

 

他3曲も同じことができる自信ありますw

「じゃあ動画UPしてみろよ?」って誰かに言われちゃいそうですが恥ずかしいのでUPはしません。信じてもらえなくても全然かまいません😅

『パレット』と『ビタースイート』は歌詞見ても歌えなさそうだけど大体覚えています。

 

『敵はどこだ?』は「ああ、ラブソング以外のこういう硬派な曲も歌っていいんだ」と中学生ながら思いました。

『クリスチーナ』は数年後、自動車教習所に通っている時によく思い出していました。

もうアーティスト名も曲名も忘れていたのですが、運転に苦戦する主人公と自分を重ねたものです。

人気が出るタイプの曲ではなさそうですが私は好きです。

(人気高かったらすみません)

 

『WORLDILLIA』以降のアルバムは申し訳ないけれども聴いていません。

シングルは全曲聴けたので、ゆくゆくはアルバムも聴いていきたいです。

新しい順から聴くか、それとも『WORLDILLIA』以降で古い順から聴くかどっちにしよう!?

 

……あれ!? 日記の感想文じゃなくてアルバムの思い出語りになってた。

1st~3rdアルバムは今聴いたらどんな風に思うのか興味あります。

当時の彼らの年齢よりも今の私の年齢の方が高いから、歌詞に共感できなくてもしょうがないかな…とも思います。

今の年齢ならではの見方・楽しみ方が見つかりますように。

【テーマ別日記解説】インディーズ時代(ポルノグラフィティ新藤晴一さんが1999年~2002年に自身のホームページの日記で語ったインディーズ時代の話)

新藤晴一さんはインディーズ時代のエピソードも自身のホームページの日記に書いていました。これはその日記の日付一覧表です。

 

簡易版年表と、アマチュアバンドとして大阪で活動していた時代に何をしていたかは

ポルノグラフィティのインディーズ時代の活動内容 - Minazuki's Blog

ポルノグラフィティ結成からメジャーデビューまでの詳しい年表は

【詳しめ略歴】ポルノグラフィティのインディーズ時代・年表 - Minazuki's Blog

上記にまとめました。

 

 

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写真と本文は関係ありません。

まるうさんによる写真ACからの写真

 

インディーズ時代の区分「大阪時代」「東京時代」について

ポルノグラフィティのインディーズ時代は大きく2つに分けられます。

1. いわゆる「大阪時代」

大阪を拠点に活動していたアマチュアバンド時代(いかなるレコード会社・芸能事務所とも契約していない)

2. 「東京時代」(※この呼び方はファンには定着してないと思う。今勝手に作った)

ソニーのオーディションに合格し上京してからメジャーデビューまで(レコード会社と芸能事務所と契約しているが育成期間だった。バイト禁止で安いが月給が出ていた)

 

Pg'z*1に出てくるインディーズ時代とは「大阪時代」のほうです。

「東京時代」は1999年6月のホームページ開始から9月7日(デビュー前日)までは「現在」の話でした。

 

日記一覧 

1999年

1999年7月13日

掲示板で「BSヤングバトル」「Break Out」(ともに後述)の話題が出ていた。

1999年7月16日 大阪時代を語る。

1999年9月24日

インディーズ初期は30枚のチケットを売り切るのが大変だったという。

掲示板の質問「インディーズのCDは入手できるか」「バンド名の略し方」に答えてくれている。

当時すでにインディーズ時代のCDは入手困難だったようで晴一さんですら持っていなかった。

1999年11月9日 「BSヤングバトル」の思い出話。

歌番組の収録でNHKホールに行ったが、その時に「BSヤングバトル」10周年関連のコメントも収録した。

 

2000年以降

2000年4月28日 ヤフオクでインディーズ時代のデモテープが高額で販売されていた。

このデモテープを作った時のエピソードが詳細に書かれている。

2000年7月24日, 2002年10月23日 今の宅録は、自分達がインディーズ時代にスタジオでデモテープを録った時よりも良い状態の音源を作れると書かれている。

2000年11月7日

大阪城公園(インディーズ時代に路上ライブをしていた場所)でゲリラライブをした。

 

補足

BSヤングバトル」について

1999年7月13日の日記と、同年11月9日の日記に登場。

NHKが主催していたアマチュアバンドコンテスト。

ポルノグラフィティは1996年(第7回)大会に出場*2

全国大会に出場したものの入賞は逃してしまった。

その理由は(本人達に後に知ったころによると)ポルノグラフィティは今が絶頂期だから賞は将来性のあるバンドに与えたというものだった。

 

参考:BSヤングバトル - Wikipedia

 

「Break Out」について

1999年7月13日の日記に登場。

Break Out (テレビ番組) - Wikipediaによると「全国のインディーズバンドを紹介し、ランキングの発表やライブのレポートを行なっている番組」

詳しくは下に書きましたが、ポルノグラフィティも1996年にこの番組に出演したことがあります。

 

この番組(1990年代当時の)に関する情報はほとんど見つからなかったのですが

ウィキペディア以外で唯一の有力情報は個人ブログでした。

 

(1)【V系】LIVE SETLIST【セトリ】 Break Out(ブレイクアウト) 第11回 筋肉少女帯 1996.12.12

(2)【V系】LIVE SETLIST【セトリ】 Break Out(ブレイクアウト) 第12回 クリスマス特集 1996.12.19

上記の記事はこのブロガーさんが「Break Out」のビデオテープを再生して内容をリストアップしたものです。

どちらの記事にも「Porno Graffitti(ポルノグラフィティ)」の名前が挙がっています。

 

(1)の放送回では、他のバンドと対バンしたイベントがレポートされていた。

(2)の放送回では、「アーティストメッセージ」のコーナーに出演していた。

という事が判明。

貴重な情報をありがとうございました。

大阪時代「ポルノグラフィティ」はどう略されていたか

1999年9月24日の日記で晴一さんが解説している。

大阪では「ポルグラ」と略す人が多かったが、東京では「ポルノ」と略されるようになったと書かれている。

東京と大阪で略称が違うというのが面白かったです。

 

(以下最後まで、独り言しかありません)

2019年現在ではもう「ポルグラ」って略す人いませんよね?

このバンド名で売れて20年続いたのだから悪く言うつもりは全くないのですが、正直なところ「ポルグラ」を公式の略称として世間に定着させてくれていたらな……私も中学生当時、口に出しやすかったんですけれども(^^;)

(私の中学時代はポルノグラフィティがデビューしたばかりでした。

少なくとも私がポルノの存在を知った当初、うちの学年ではポルノの事を話題にする生徒が誰もいませんでした。

同級生から好きなアーティストを聞かれて「ポルノグラフィティ」と答えようものなら、その場に居合わせた男子にからかわれていたのが明らかですw

あと、親の前でも言いづらかったw)

*1:ポルノグラフィティ新藤晴一さんがデビュー直前の1999年6月から2005年まで運営していた個人ホームページ、特にページ内で連載されていた日記を指す。タイトルの"Pg'z"はトップページの抽象画のようなイラストに書かれた言葉。2019年8月時点でツイッターを検索したら多くのファンがこの言葉でホームページを呼んでいた。よってこれがタイトルだと判断。読み方はおそらく『ピージーズ』。ホームページ自体は2016年3月に消失したが、アーカイブされているため現在も読むことができる。詳しいことはhttps://junefirst1999.hatenablog.jp/entry/2019/08/24/142025の記事にまとめたのでご参照を

*2:この年から番組名が「ニューBSヤングバトル」に変更された。

【詳しい経歴をまとめてみた】ポルノグラフィティのインディーズ時代・年表(元メンバー中尾天成さんのツイートも貼付)

ポルノグラフィティのインディーズ時代の詳しい経歴をまとめてみました。

「年表・詳細版」です。

(細かいエピソードはほとんど削ぎ落しました。要所は押さえています)

もっと手短に知りたいという方は別記事の年表(簡易版)をご覧ください。

 

 

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写真と本文は関係ありません。

まるうさんによる写真ACからの写真

 

ポルノグラフィティ結成前】

1992年(高3)

秋:因島高校3年生だった昭仁さん・晴一さん・他2人と高専3年生だったTamaさんの合計5人でバンドをし、因島高校の文化祭に出演。

Tamaさんは高専でも友達とバンドを組んでいた。

 

1993年4月~12月(高卒1年目*1 18~19歳)

3人それぞれ異なる生活をしていた。

 

昭仁さん:大阪の予備校に入り寮生活。授業をサボってパチンコ屋に通ったり、寮の友達と遊んだりしていた。

勉強はあまりせず。ミュージシャンや歌手になろうとする意志はほぼなかった。

 

 

晴一さん:広島県福山市ビジネス系専門学校に進学。同市で一人暮らし

専門学校は夏前に中退する。中退後は同市でフリーター生活

 

入学直後に学校を続ける気をなくしてしまったため、退学後に何をするかを考える。

出た答えは「大阪に行ってバンドをする」だった。

前述のとおり大阪には昭仁さんがいたため、昭仁さんをボーカルにしてバンドを組みたかった(他のボーカルを知らなかったというのもあった)。

 

また、福山から因島に通ってTamaさんとふたりでバンドを組んでいたTamaさんが参加していた別のバンドにも参加させてもらっていた。

Tamaさんと2人のバンドではボーカルを公募したが納得のいくボーカルに出会えず、改めて昭仁さんをボーカルにしたいと思った。

また、Tamaさんと共にオリジナル楽曲の制作も始めていた。

 

 

Tamaさん:高専4年生。因島の実家で暮らす。

学業にやる気を失っていて授業にはあまり出席せず。そもそもあまり登校していなかった

 一方で(アマチュアだが)音楽活動は熱心に行う

 複数のバンドに参加し、前述のとおり晴一さんとも2人でバンドを組む

 

作曲も始めていて、他のアマチュアバンドに楽曲提供したこともあった。

2019年現在もライブのアンコール定番曲である『ジレンマ』もこの頃に作曲

広島県内の様々な大会に出場し、ある大会ではベスト・ベーシスト賞を受賞

県内の大きな大会にも出場していた。

 

このように音楽活動にはやる気が高く、ミュージシャンを志す

大阪の音楽専門学校への進学を考える(※実際は大阪に住みながら、京都にある音楽専門学校に進学した)。

晴一さんもこの年の冬(1993年12月~1994年2月ぐらい?)に大阪行きを考えていて、「大阪に行くなら一緒に住もう」とTamaさんを誘った(家賃や光熱費を折半できますしね)。

 

ポルノグラフィティ結成1年目】

1994年(19~20歳)

2月:Tamaさんが音楽専門学校に進学するために家出を決行する。

因島の友達が大阪に住んでいたため彼の家に4月まで居候。

この2ヶ月間に入学手続きやアルバイトをする。高専は中退

・昭仁さんが大学に補欠合格する(3月かもしれないが)

 

4月:晴一さんとTamaさんが大阪に家を借りて引っ越す

昭仁さんが大学に入学する(きちんと通学したのは入学後1ヶ月ぐらい)。

晴一さんがスナックのバーテンダーのアルバイトを始める

Tamaさんが京都の音楽専門学校(1年制)に入学する(真面目に勉強した)。

3人プラス因島の友達1人&晴一さんのいとこ(高3秋の文化祭で一緒にバンドをした2人)の合計5人が大阪で再会。バンドを結成するが、このバンドはほとんど活動しないまま2人が脱退する

 

(ここからインディーズ時代・大阪編がスタート)

夏ごろ:3人とドラマー(1人目)の4人でポルノグラフィティを結成

当時のドラマーはTamaさんの専門学校のドラム科の人だった。

ウィキペディアによると中尾天成さんという方。

ポルノグラフィティの20周年ライブを観に行ったとツイッターで公言していました。

 中尾さんはわりと積極的にポルノグラフィティに居た当時のことをツイートしています。ポルノファンとツイッターでやり取り(リプライ)することもあります。

そういうわけで当ブログでもツイートを紹介させていただきます。

  

10月(?)*2:ライブハウスで初めてのライブを行う。観客数は30人ぐらいで、因島の友達と昭仁さんの大学の友達が観に来てくれた。

 

 

11月:ライブハウスで2度目のライブ

 

11月以降:デモテープを録り、ライブハウスやレコード会社に送る

(テープには『ジレンマ』も入っていた)

その結果あるライブハウスに認められ、月1回ライブをさせてもらえるようになる(恐らく対バンライブへの出演だったのだろう)。

某レコード会社の面接に呼んでもらえたが落選する。

 

【結成2年目】

1995年(20~21歳)

【当時の肩書き】

・昭仁さん:大学生(授業にはほとんど出ない)

・晴一さん:フリーター(引き続きバーテンダー

Tamaさん:3月に専門学校を卒業し、フリーター。

 

夏:マチュアバンドが100組ぐらい*3出るイベントに出演。

ソニーの新人発掘スタッフから名刺をもらうが、このときは進展がなかった)

 

秋:「城天(しろてん)」と呼ばれる大阪城公園歩行者天国*4路上ライブを始める。

城天は路上ライブな盛んな歩行者天国で、他にも多くのバンドや歌手が路上ライブをしていた。

 

 

 

この時期に、城天で活動していた4バンドでライブイベントを開催する

 

11月ごろ:心斎橋筋2丁目劇場吉本興業の劇場)でお笑いライブの合間に演奏させてもらえるようになる。

上記の活動のおかげでファンが増えていった。

 

中尾さんは2013年のブログでも2丁目劇場の思い出話をされている。

ameblo.jp

 

 

12月:小さいライブハウスで初のワンマンライブを開催。

このライブからドラマーが2人目に交代。参考文献(後述)の情報を合わせるとと以下のような人だと分かる。

 

・他3人よりも2歳年上

・楽器店のドラム売り場の店員

『ワイラノクロニクル』にはライブハウスの店員と書かれいているが、『ギターマガジン』によれば、小さなライブハウスみたいな場所が付いている楽器店の店員だった。

・城天に出ているバンドの人*5

(上記2点を合わせて考えると、楽器店で働きながらバンドでドラムを弾いていた人

・この方が店員だったため、店長が無料で練習場所を貸し出してくれた(水曜日と日曜日の夜のみ)。

 

【結成3年目】

1996年(21~22歳)

【当時の肩書き】

・昭仁さん:4月(?)に大学を中退しフリーター。

・晴一さん&Tamaさん:引き続きフリーター。

 

7月20日:2度目のワンマンライブ。会場は「ミューズホール」。観客数250人。

ファンが増えている実感があった。

 

 

 

夏:色々なコンテストに出場。優勝を目指していたが最高で2位止まりだった。

テレビの勝ち抜きオーディション番組にも出るが1回戦で敗退。

 

11月:NHKのバンドコンテスト番組「BSヤングバドル」全国大会に出場

入賞できず。本人達が後に知った理由は、ポルノグラフィティは今が絶頂期だから賞は将来性のあるバンドに与えたというもの。

 

秋から冬あたり:ソニーのオーディションを受ける。

 

【結成4年目】

1997年(22~23歳)

1月ごろ:ワンマンライブをすることが決まる。

ただし皆のモチベーションが最悪な時期で、解散も考えていた。

 

3月:前年にソニーのオーディションを受けていた関係で、再びオーディションを受けさせてもらえる(直接東京本選に参加させてもらえた)。結果、合格。

ソニーへの所属が決まる。

 

4月27日:アマチュア時代最後のワンマンライブ

ソニーの力を借りず自分達の手で開催させた。観客数550人。

 

5月:芸能事務所が決まる。この頃にドラマーが脱退。3人編成になる。

 

8月:エルマガジン*6の野外イベントに出演。

 

(ここからインディーズ時代・東京編がスタート)

9月下旬:上京する。ライブも行う。

 

以降、3ヶ月に1本ぐらいのペースでライブをする。

音楽活動に専念するためにアルバイトは禁止された。安いが月給が出ていた。

(給付型奨学金をもらいながら大学や専門学校に通っている学生みたいな立場だな、と思いました)

デビューに向けて曲作りの期間が始まる

 

【結成5年目】

1998年 (23~24歳)

詳しい月日不明:初めてプロデューサーがつき、楽曲提供を受ける

初代プロデューサーは"Ryo"こと作曲家の吉俣良さん。

ほどなく本間昭光さんにプロデューサーが交代。

 

5~6月:大阪でライブ

10月~12月(?):北関東で対バンライブツアー。レコーディングも行う。

 

【結成6年目/デビュー1年目】

1999年(24~25歳)

1月:大阪・東京でワンマンライブ

1~3月:レコーディング

3月:初のレギュラーラジオ番組を持つ(1999年6月16日の日記にも登場)。

5~6月:「中西君」の家でプリプロ(デモテープ制作)

1999年6月1日6月29日の日記にも登場

6月:晴一さんが個人ホームページ"Pg'z"を開設。日記の連載を始める。

7月~:忙しくなる

9月:メジャーデビュー

 

参考文献

『B-PASS SPECIAL EDITION ポルノグラフィティ ワイラノ クロニクル THE HISTORY of PORNO GRAFFITTI from INNNOSHIMA』

(2001年3月初版/取材当時は2000年 出版社:シンコーミュージック

ファンの間では『ワイラノクロニクル』あるいは『ワイクロ』と呼ばれている公式の本。

デビュー2年目の彼らに因島の子ども時代~青春時代やインディーズ時代、デビューしてから2000年(取材当時)までの事をインタビュー。

 

非常に詳しくて長い。当記事に反映させなかった小話も非常に多い。

(当記事では『わりと詳しめの略歴を比較的短い時間で読み終えられるように書く』のを目標にしたため)

 

メンバーの写真も豊富。みんな若い(←当たり前だ)

『アポロ』から『サボテン』までのシングルのリリース当時インタビュー、アルバム『ロマンチスト・エゴイスト』リリース当時のインタビューも収録。

B-PASSによるライブレポートも収録。

 

とにかく情報量が豊富。

写真も多いけど文字の方が多い。読み応えがありました。

定価は税抜き2000円ですが、もし今が発売当時だとしたら「2000円払う価値がある」と判断して定価で買っていました。

(今は古本で売ってて、もっと安いです)

そういうわけで今ファンなら当時を知らない方も楽しめます。

 

GUITER MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES 新藤晴一 ポルノグラフィティ

(2019年1月初版/取材当時2018年 出版社:リットーミュージック

ギターの事を中心に新藤晴一さんを取材したムック。

ファンの間では『別冊俺』という通称で呼ばれていますが当記事では『ギターマガジン』と呼んでいます。

 

因島の中高生時代から現在(※2018年)に至るまでのロングインタビューが収録されていて、当記事を書く上で参考になりました。

 

当記事には反映させませんでしたが、上京してからデビューするまでの期間の事は「今だから言える話」が多いなと思いました(デビュー直後の話も同様)。

 

こちらも写真豊富、文字量はもっと豊富だったので定価(税抜き2500円)払って買ってよかったなと思いました。

私はギターに興味も知識もありませんが、インタビューは読んでいて面白かったです。過去に掲載されたインタビューも再録されていて楽しめました。 

*1:Tamaさんのみ高専4年生

*2:本人達の記憶も曖昧

*3:『ワイラノクロニクル』より。『ギターマガジン』(通称『別冊俺』)では50組と言っているため、正確な数字がはっきりしない。きちんとした記録がない時代なのでやむを得ない。

*4:JR大阪城公園駅と大阪城ホールを結ぶ道

*5:そのバンドを辞めてポルノに移籍したのか、それとも他バンドとの掛け持ちでドラマーをしていたのかまでは不明

*6:関西を代表する地域情報誌。2008年休刊

Twitter始めました/ブログ運営者のプロフィール・SNS・ファン歴など

取り急ぎご報告ですがごTwitter始めました。

(最初に書いておきますが、アカウントを予告なく削除する可能性があります)

∠みなづき (@junefirst1999) | Twitter

 

なぜ始めようかと思ったかというと

「晴一さんのホームページが読めなくなって寂しい」といったツイートを多く見かけたので

そういうツイートしている方々にアーカイブのURLをお伝えしようと思ったからです。

(『怪しい奴からリプライ来た!』などと不安に思わせてしまったら申し訳ありません……)

 

今のところ「ブログの宣伝のために使いたい」という気持ちはあまりありません。

ポルノグラフィティのファンで当ブログを楽しんでくれる方がいれば嬉しいのですが

「アクセス数増やしたい!」みたいな気持ちはないので…。

ブログは自己満足のためにやっているのに過ぎないから。

 

Twitter開設に伴いましてブログ運営者(私)のプロフィールとファン歴をUPします。 

 

 

プロフィール

ハンドルネーム:みなづき

30代女(1980年代生まれ)

 

これ以外の個人情報(出身地、血液型、学歴、職業、家族構成、趣味・特技など)は非公表です。

プライベートに関する事柄は気が向いたら明かしますが、質問にはお答えできないのでご理解のほどよろしくお願いします。

 

現在のSNS

SNSの開設、アカウント消去などの情報はすべてこちらにUPします。

∠みなづき (@junefirst1999) | Twitter

 

Minazuki youtube - YouTube

(白玉雅己さんのYouTubeにコメントするためだけにアカウント取得しました。

動画をUPする予定は全くありません)

 

ファン歴

ポルノグラフィティのファン歴

結論から言うと2019年8月時点*1で新入りファンです。

例外的に2000年途中~2002年途中まではリアルタイムで新曲を追いかけていましたし、3人でやってるAMラジオも聴いていました。

(偶然そのラジオ番組を聴いてポルノグラフィティの存在を知りました)

2003年~2018年の間の新曲は全く追いかけていませんでした。

 

当ブログを始めた理由・経緯(※長文注意)

今年(2019年)ポルノグラフィティが20周年を迎えるという事を偶然知りました。

家ではCS音楽チャンネルのMTVを観ることができるのですが

歴代PVを全部放送するというので試しに観てみました(PV観るのはこれが初めてでした)。

そしたらデビュー曲から昭仁さんが歌上手い、歌詞も曲もかっこいいし今聴いても色あせていない曲が次々と流れてきたため

中学時代ぶりにファンになりました。

 

中学時代はインターネットができなかったのですが、それを取り戻すかのように(?)

ネットでファンが何を書いているのか読んでみました。

主にヤフー知恵袋の過去の投稿を読んでいたのですが

ファン同士で好きな曲を教え合ったり、歌詞の解釈を書いたりしているのを読んでいて本当に楽しかったです。

 

ネットしている最中、晴一さんが1999年から2005年に個人ホームページを運営していたということを偶然知りました。

初耳でした。

「1999年という昔に自分のホームページを立ち上げていたアーティストがいたなんて!」と驚き

「この期間って、私がポルノグラフィティのAMラジオをリアルタイムで聴いていた時代じゃん!

それに彼らがヒットソングを次々と出していた時代じゃん!

ヒットソングを出したアーティストが現在進行形で書いて公開してきた日記だなんて貴重じゃないか。是非読んでみたい」と考え

どうしてもそのホームページを読みたくなりました。

 

ヤフー知恵袋で回答者が書いていたキーワードを検索エンジンに打ち込みましたが

(当然ながら)出てきません。

しかし当時の私はサイトが既に消失していることを知りません。

 

そういう訳で検索結果の2ページ目以降をたどり(詳細は長くなるので省略しますが)

インターネット・アーカイブに晴一さんのホームページのアーカイブが残されていることを発見しました。

嬉しかったです。

 

読んでみて内容にハマりました。

とても面白かったし感動しました。

具体的に何が面白かったかと言うと…

 

私には縁のない音楽業界。その裏側を垣間見ることができて面白かった。

アーティストがメディアやライブに出ていないときに何をしているのか(答え:作詞作曲をしたり、機材を揃えたりしていた)初めて知れて面白かった。

デビュー直前から、私たちの見えないところで努力していたのを知って感動した。

(面白いポイント、感動したポイントがたくさんありすぎて語り切れない…。

それもブログ始めた動機のひとつですね…)

 

中学時代にラジオを聴いていたと書きましたが

晴一さんのホームページを読んで

「私は彼らのことを全く知らなかった」と思い知りました。

今までの私にとって晴一さんは「後ろでギター弾いている人」「作詞している人」に過ぎず、他の印象が全くありませんでした。

 

しかしホームページの日記を読んで

彼がいかに音楽に対して情熱と愛を抱いていたかを知りました。

ギターへの愛、作詞への強い思い入れ、ライブへの情熱と愛、音楽に限らず表現することが純粋に大好きだということ…。

インディーズの時に地道に路上ライブを続けてきたこともこのホームページで初めて知りました。

恥ずかしながら、ポルノグラフィティにあのような下積み時代があっただなんて今まで知りませんでした。

若いうちから本当に努力してきた方々なんだなと初めて知りました。

 

あくまでも晴一さん個人のホームページだから、昭仁さんとTamaさんが音楽に対してどんなことを思っていたかまでは分かりません。

しかし2人も音楽活動が大好きで情熱を抱いていた、本気だったということは伝わってきました。

 

「日記をテーマ別に分類してブログにまとめてみたい」と思わせたのは上記が理由です。実際やりました(自己満足)。

 

…長話になってしまった。

とにかく、Pg'zを読んでますますポルノグラフィティのファンになりました。

アーカイブが残っていて本当に良かったし、読めて本当に良かったです。

 

 

ポルノグラフィティの曲で好きなもの

ヒトリノ夜』(別格)

『サボテン』

ミュージック・アワー

サウダージ

『ヴォイス』

『幸せについて本気出して考えてみた』

音のない森』 

オレ、天使』(中学の時好きだった)

『空想科学少年』(同上)

『クリスティーナ』(自動車教習所通ったときに思い出した)

 

直近5年のシングルでは以下が好き

『オー!リバル』

『THE DAY』

『LiAR』

『真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ』

『Montage』

『カメレオン・レンズ』

『ブレス』

『VS』

*1:ブログ開設当時

【活動内容をまとめてみた】ポルノグラフィティのインディーズ時代の活動(元メンバー中尾天成さんのツイートも貼付)

Pg'z*1にはポルノグラフィティのインディーズ時代の話も時折登場するため、彼らが当時んなことをしていたのか調べてみました。

1990年代、インターネットが全然普及していなかった時代のインディーズの実態が垣間見えます。

 

 

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写真と本文は関係ありません。

まるうさんによる写真ACからの写真

 

 

そもそもインディーズとは

 

以下のサイトに詳しく書かれています。

 

(出典その1)

indiesmate.com

 

(出典その2)

store.antennagano.org

 

私の方でおおざっぱに要約すると

・メジャー:日本レコード協会に入っている大手レコード会社に所属して活動するアーティスト

有名アーティストはたいていメジャー所属(もちろん、メジャーデビューしても売れずに解散・引退するアーティストも多く『メジャーデビュー=成功』とは限らない)。

  

・インディーズ:日本レコード協会に所属していない中小レコード会社からCDをリリースしているアーティスト

出典その1によれば「メジャー以外の全バンドをインディーズバンドと定義するならば、今日結成されたバンドもすぐにその仲間入りだと言えるでしょう」

「インディーズ=無名・素人」と思われがちだが2019年現在はHi-STANDARD, MONGOL800, ゴールデンボンバーのようにインディーズだが有名なアーティストもいる。

 

って感じです。

私はインディーズに全然詳しくないです。このまとめ方は不正確です。

しかし大体のイメージは掴んでもらえたかと思います)

 

 

インディーズ時代の年表(簡略版)

1994年:大阪でポルノグラフィティを結成

1995年:ライブハウスや路上で積極的にライブを行いファンを増やしていく。この年に初めてワンマンライブを開催。

1996年:様々なバンドコンテストに出場。2度目のワンマンライブを開催。

1997年:ソニー(レコード会社)のオーディションに合格し上京。デビューに向けて楽曲制作を始める。

1998年:プロデューサー・本間昭光さんから楽曲提供を受ける。大阪と北関東でライブを行う。

1999年:メジャーデビュー

 

より詳しい年表は以下をご覧ください。

【詳しい経歴をまとめてみた】ポルノグラフィティのインディーズ時代・年表 - Minazuki's Blog

 

 

プロになるためポルノグラフィティが具体的にやった事

前書き ーー1990年代・あるミュージシャン志望者の「就活」事情ーー

「就活」は一般企業への就職を目指す活動ですが、ミュージシャン志望者がプロになるために行う事も「就活」と共通点があると思ったので

本来の意味とは違いますが、当記事ではあえて「就活」と呼びます。

当記事では芸能事務所・レコード会社と契約する前(つまり純粋なアマチュアバンドだった頃)に大阪でやっていた活動のみをまとめました

 

【就活その1:楽曲制作&練習】

当たり前だが、この2つをできていないとインディーズバンドにもなれない。

楽曲制作についてですが、晴一さんとTamaさんは大阪に出る1年前(ポルノグラフィティ結成前)から始めていました。

以下は結成当時のドラマー中尾天成さん(翌1995年脱退)によるツイートです。

 

 中尾さんはツイッターでわりと積極的にポルノグラフィティにいた当時の事を触れています。ポルノファンからの質問に答えてくれることもあります。

そういう訳で当ブログではツイートを紹介させていただきます。

 

【就活その2:デモテープ制作】

 1994年、ポルノグラフィティ結成1年目から開始。

ライブハウスやレコード会社に自分達を売り込むために制作して持ち込んでいた。

観客に販売するためのデモテープも制作した。

当時はまだカセットテープの時代だったため、文字通り「テープ」だった。

 2000年4月28日の日記にはデモテープ制作の思い出話が出てくる。

 

【就活その3:ライブハウスでライブ】

これもポルノグラフィティ結成直後からやっていた。

私が読んだ本(詳しめ年表の『参考文献』)によるとデモテープを作る前にライブハウスでライブをしたことがあった(詳しめ年表#1994年も参照の事)。

(とはいえこの時代にはきちんとした記録がないため、本人達の記憶違いの可能性もあり得ます)

 

結成当初のライブは、ファンもまだいなかったため観客は彼らの友達ばかり。

デモテープを送った先のライブハウスに認められ、月1回出演させてもらえるようになりました。 

 

 

【就活その4:路上ライブ】

1995年(結成2年目)の秋から「城天(しろてん)」と呼ばれる大阪城公園歩行者天国で路上ライブを始めました。

城天は路上ライブが盛んな歩行者天国ですが、そこで知り合った他のバンド達と一緒にイベントも開催させました。

 

 

路上ライブ前後のスケジュール

『ギターマガジン』(目次#参考文献)を基にすると、大体こんな感じだったそうです。

・土曜日の夜中:バイト

・日曜日の朝から:城天で路上ライブ

(来てくれた人と話して次のライブチケットを買ってもらっていた。観客とコミュニケーションを取ることを重視していた)

・終了後(日曜日の夜):ある楽器店に付いていた小さなライブハウスみたいな場所を借りて(店長の厚意で無料だった)午前3時ごろまで練習

・練習後にミーティング

・月曜日の朝:帰宅

・時間が来たらまたバイトに行く

 

……若くて元気だったからこんな無茶ができたんでしょうね。

ちなみに店長がタダで練習場所を貸してくれたのは当時のドラマー(前述の中尾さんではない方)がその楽器店の店員だったからで

まるで「小説のご都合主義的な展開」です。

ほとんどのミュージシャン志望者は(当時も今も)お金を払って練習場所を借りるか、公民館など無料で使わせてくれる練習場所を探すか

昼間の大きな公園や河川敷で練習するかだったと思います。

 

【就活その5:吉本興業の劇場で演奏】

お笑いライブの合間に演奏させてもらっていました。

就活その4と5(路上ライブと吉本興業の劇場でのライブ)の共通点は「音楽に関心のない人達の前で演奏する」ということです。

劇場の観客はあくまでもお笑いのファンですし、路上ライブをしても素通りしていく人の方が圧倒的に多いです。

実際、劇場に出始めた当初は全然盛り上がらなかったそうです。

どちらの場でも観客とコミュニケーションを取ることを重視し、徐々にファンを増やしていきました。

 

 

 

【就活その6:バンドコンテストへの出場】

様々なコンテストに出場を続けました。

アミューズによる公式プロフィール(1999年8月31日付アーカイブ)によると、「BSヤングバトル」「ビートルズ音楽祭」「Lマガジンバンド祭」に出場。

優勝を目指していましたが最高で2位止まり。

結果が出せないことで煮詰まり解散を考えるようになってしまいました(上の年表にある通り、1997年ソニーのオーディションに受かったことで解散は撤回。現在に至ります)。

 

なお「BSヤングバトル」については晴一さんがPg'zでも取り上げています。

1999年7月13日の日記

1999年11月9日の日記

 

【就活その7:オーディション】

ソニーのオーディションのみ受験(1997年3月合格)。

1996年の秋か冬に受験し、翌年3月に再び受験させてもらえた。

1994年には、デモテープを送った別のレコード会社から連絡を受けてビデオ審査や面接を受けたが落選している。

 

【就活その8(おまけ):会報の発行】

マチュアバンドのうちから会報(フリーペーパー?)を発行していました。

Googleの画像検索で「ポルノグラフィティ インディーズ 会報」と検索すると

会報の写真が色々と出てきます。

 

インターネットが全然普及していなかった当時は

こういった紙媒体でファンとコミュニケーションを取っていたんですね。

 

中身を全部読むことはできませんが

写真で見る限り「デモテープ完成!! 2月末日発売 6曲入り800円」とあります。

中尾さんのお名前もありました。

2000年4月28日の日記でデモテープ制作に触れられていますが、「もともと800円で買ってもらったはず」とあります。きっとこの時の話なのでしょう。

 

【就活その1~8まとめ】

こうして整理するとポルノグラフィティ

・まず楽曲制作と練習

・デモテープを作ってレコード会社やライブハウスに持ち込み

・路上やライブハウスなど様々な場所でライブを繰り返す→ファンを増やす

という活動を積み重ねていき

・バントコンテストとオーディションに挑戦

していました。

 

とは言え当時の彼らは手探りで色々なことをしてきたのだと思います。

今だったら、いや結成があと10年ほど遅かったらインターネットを使って「インディーズで活動するにはどうすればいいか」を簡単に調べられましたが

結成当時はまだWindows 95すら発売されていません。

 

参考文献

『B-PASS SPECIAL EDITION ポルノグラフィティ ワイラノ クロニクル THE HISTORY of PORNO GRAFFITTI from INNNOSHIMA』

(2001年3月初版/取材当時は2000年 出版社:シンコーミュージック

ファンの間では『ワイラノクロニクル』あるいは『ワイクロ』と呼ばれている公式の本。

デビュー2年目の彼らに因島の子ども時代~青春時代やインディーズ時代、デビューしてから2000年(取材当時)までの事をインタビュー。

 

GUITER MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES 新藤晴一 ポルノグラフィティ

(2019年1月初版/取材当時2018年 出版社:リットーミュージック

ギターの事を中心に新藤晴一さんを取材したムック。ファンの間では『別冊俺』という通称で呼ばれている。

*1:ポルノグラフィティ新藤晴一さんがデビュー直前の1999年6月から2005年まで運営していた個人ホームページ、特にページ内で連載されていた日記を指す。

タイトルの"Pg'z"はトップページの抽象画のようなイラストに書かれた言葉。

2019年8月時点でツイッターを検索したら多くのファンがこの言葉でホームページを呼んでいた。よってこれがタイトルだと判断。読み方はおそらく『ピージーズ』

ホームページ自体は2016年3月に消失したが、アーカイブされているため現在も読むことができる。詳しいことは

https://junefirst1999.hatenablog.jp/entry/2019/08/24/142025

の記事にまとめたのでご参照を。

Tama(白玉雅己)さんの旧ブログ&旧プロフィールのアーカイブ一覧表

ポルノグラフィティの元メンバーTama(白玉雅己)さんの旧ブログと

ポルノグラフィティ時代の公式プロフィール(ともにアーカイブ)が見つかったので

一覧にまとめました。

新藤晴一さんが1999年~2005年まで運営していた個人ホームページにも、晴一さんによるTamaさん紹介が載っていたのでそちらも掲載。

Tama(白玉雅己)ファンの皆さんのお役に立てれば嬉しいです。

 

(この記事は『テーマ別日記解説・岡野昭仁さんとTamaさん』という記事の内容を充実させるために書き始めましたが、上の記事を読まなくても内容を理解できます)

 

 

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写真と本文は関係ありません。

かずなり777さんによる写真ACからの写真

 

Tamaさんの略歴

1999年 ポルノグラフィティのベースとしてデビュー

デビュー当時は「シラタマ」を名乗り、途中から「Tama」に改名する。

よって名義を本名に改めた現在もファンや仕事関係者からは「Tama(さん/ちゃん)」と呼ばれることが多い(私もそう呼ぶ)。

 

時々見かけるので書いておきますが「白玉雅」は誤変換です。

 

2004年にポルノグラフィティを脱退

 

2005年から2010年まではソロアーティストとして活動

 

2011年から2018年は動向不明期間だった

ただしポルノグラフィティの元プロデューサー・本間昭光さんのツイッターには2016年から2018年にTamaさんとの2ショットがアップされた*1

「動向不明」「消息不明」とは言え生きている事はこれで判明。

当時のファンはこの写真を見て非常に安堵したらしい。

 

2019年現在は本名の「白玉雅己」名義でベーシストと作曲家・編曲家をしている

2019年1月にツイッターを開始。当時のファンは非常に感激していた。

 

(余談)脱退と動向不明の件を初めて知ったときに私が思った事

以下、余談なので興味のない方は次の「目次#デビュー当時の公式プロフィール」へ飛んでください。

 

私は約20年前の中学時代、偶然ラジオでポルノグラフィティを知ったのがきっかけで曲のファンになりました。

しかし高校入学直後ぐらいからなぜか関心を失い2019年に至っていました。

(嫌いになったわけではない)

 

私がTamaさんの脱退を知ったのは、脱退から1年後の2005年だったと思います。

ネットしていたら偶然知りました。

既にポルノグラフィティに関心を失っていたため

脱退を知っても特に何も思いませんでした。

知った直後はびっくりしたと思いますが

「バンドからメンバーが辞めるのってよくある話だし別に不思議な事ではない」と考え

すぐに関心を失いました。

(そういえば『シラタマ』から『Tama』に名前を変えたの知ったのもこの時でした)

 

Tamaさんが2011年から2018年まで動向不明だったことは今年(2019年)、ツイッター開設から何ヶ月か経った頃に初めて知りました。

そもそも、Tamaさんがソロ活動をしていたことを今まで知りませんでした。

「どれだけ情報や流行に疎いんだ」って感じですね…。

 

そんな私ですら、動向不明だった件にはショックを受けました。

私みたいな人ですら。

ファンの皆さんの心中お察しします。

ツイッターで近況が分かるようになって本当に良かったですね。

Tamaさんのユーチューブチャンネルでオリジナル曲が聴けるようにもなりましたし…。

 

では本題に入ります。

 

デビュー当時の公式プロフィール

所属事務所アミューズによる公式プロフィールページと

所属レコード会社SMEレコード(現『ソニー・ミュージックエンタテインメント』通称ソニー)による公式プロフィールの2種類がありました。

ポルノグラフィティのメンバー3人の好きなアーティスト・映画・本を紹介する内容。

その他の基本情報(担当パート、出身地、誕生日、血液型、身長*2)も載っていました。

 

白玉雅己(B)
1974.4.27生まれ 173cm O型 広島県因島市出身
favorite artist:ビリー・ジョエル
favorite book:星の王子様
favorite movie:インディペンデンスデイ

 

出典:アミューズによる公式プロフィールページ(1999年8月31日付アーカイブ)

 

シラタマ
Bassのシラタマです。
O型でやや頑固です。
僕らはサービス満点で
いくので、ぜひ応援
してください。
・・・髪切りました。
-1999.09-

出典:SMEレコードによる公式サイト内"Profile & Biorgraphy"(2000年4月7日付アーカイブ)

 

新藤晴一さんによるTamaさんの紹介(1999年当時)

 

白玉雅巳(原文ママ) シラタママサミ(B) 1974・4・27生まれ
 
・頑固
・作曲してる
・マフィアに憧れているらしい
・冷静
・自己分析が趣味
・人の分析も好き
・長髪
ビリー・ジョエルプライマル・スクリームブランキージェットシティとかが好きみたい
・音楽がほんと好きみたい
・頑固

出典:"Pg'z Homepage"内「ポルノグラフィティ」2000年10月19日付アーカイブ

 

【2019年に初めてこれらを読んだ感想】

晴一さんから「頑固」と2回も書かれていてびっくりしました。

本人も「やや頑固」と認めていたので1999年当時はそんな感じだったのでしょう。

「意志が強い」という事でもあると思いました。

 

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写真と本文は関係ありません。

m******************************pさんによる写真ACからの写真

  

ソロ活動時代(2005年~2010年)の公式プロフィール

 

http://www.amuse.co.jp/artist/Tama/profile.html (リンク切れ)

 

 

2005年5月~10月までの本人からのメッセージ掲載分(2005年12月20日付アーカイブ)

2006年1月~9月までの本人&スタッフからのメッセージ掲載分(2006年11月13日付アーカイブ)

 

(※このほかは現在調査中です)

 

ソロ活動時代(2005年~2010年)の公式ブログ

 

2016年6月18日付アーカイブ

URL: http://blog.amuse.co.jp/tama/p/ (リンク切れ)

 

2005年のソロ活動開始からの全記事を読む事ができる。

2016年にアミューズを退所したため、6月19日以降にブログが削除されたと思われる。

 

(コメント欄は閲覧注意。ほとんどは真面目な内容だが一部『なぜこんなひどいのが承認されたの?』と思うようなものもあったので)

 

申し訳ありませんがこのブログの内容を、当ブログで紹介するつもりは今のところはありません。

 

私が晴一さんの旧ホームページの日記を紹介している理由は、内容があまりにも面白くて感動的で「このままアーカイブが誰にも発見されないでいるのはあまりに惜しい」と強く思ったからです。

ブログを書く時間はあまりありませんが、そんな中でも紹介したいと思えるほど感動的な内容でした。

 

決してTamaさんの旧ブログの内容が気に入らないとかそういう事ではありません。

 

ファンの皆さんにとっては大切な「思い出の場所」ですよね?

リンク先をブックマークして、いつでも読み返せるようにして下さい。

 

2019年に開設されたTwitter, YouTube

既にご存知かとは思いますがリンク貼ります。

 

白玉雅己 (@shiratamamasami) | Twitter

 

白玉雅己 - YouTube

(2019年10月現在のところオリジナル楽曲のベース演奏がアップされています。

おすすめ)

 

Tamaさんの今後の音楽活動に期待していること

 (※長文、雑文です。どうしても暇つぶししたい方以外にはおすすめしません)

 

今年に入って活動再開したばかりだし
Tamaさんがやりたい仕事をやれれば他には何も望まない。
あくまで最悪の場合だけど、音楽業界から引退されたとしても年1回(誕生日かお正月にでも)ツイッターを更新してくれれば他には何も望まない。
 
今もそう思っている。
一方で以下のことを望んでいる。
(矛盾しているのは分かっているのでご本人には直接伝えない

※2019/10/19追記:迷いましたがYouTubeの『PS』という動画のコメント欄でお伝えしました。”Minazuki youtube”という名前のコメントです
 
 
作曲家になってほしい。
 

Tamaさんは人の「目を引く」ならず「耳を引く」音楽、人々に強い印象を残す音楽を作るのが得意なんだと思う。
 
先に断っておくが、私は音楽の専門知識は何もない。
 
しかし、Tamaさんの作風は例えばニュース番組のテーマ曲に向いているのではないか?

視聴者がテレビをつけっぱなしにして他のことをしていても、テーマ曲が鳴れば注意を引き付けることができる。
そして人々の記憶に残る。
そんな曲がニュース番組には求められている
と思うけど、まさにTamaさんの作曲がぴったりではないか?

 

 
ニュース番組のテーマを作曲したら需要があると言うか

大勢の視聴者の耳を引き記憶に残る音楽を作れるんじゃないか?

 

 
私は国谷裕子さんがキャスターを務めていた『クローズアップ現代』のテーマを
未だに覚えている。
あの音楽は私の耳を引いた。
テレビをつけっぱなしにしながら他の何かをしていても、
あの音楽が流れたら「あ、クロ現だ」って気づいた。


私はあの曲名も、作曲家や演奏家の名前も知らない。
 
しかし私の記憶に残っている。
曲が使われなくなってからからもう3年ぐらい経っているのに。

 

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2019年10月9日追記:横山克Open Your Eyes』(下記より試聴可能)

横山克「横山克 NHK WORKS」 | NGCS-1032 | 4560124361136 | Shopping | Billboard JAPAN

五木田岳彦『Truth』(下記より試聴可能)

五木田岳彦「地空風人 NHKドキュメンタリー オリジナル サウンドトラック作品集」 | KICS-1198 | 4988003317966 | Shopping | Billboard JAPAN

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Tamaさんはあの曲のような

視聴者に一瞬で強い印象を残すような曲を作曲できるんじゃないか?

 

もうひとつ例を挙げると

NHKのドキュメンタリーシリーズ『映像の世紀』のテーマのような曲も作れると思う。

 

私はあの番組を2~3回ぐらいしか観たことない。
シリーズ自体も今は放送されていない。
しかしあのテーマは未だに私の記憶に残っている。

 

 
この曲名もうろ覚えだ。
作曲家や演奏家の名前も知らない。

 

※2019年10月9日追記:加古隆パリは燃えているか』(『映像の世紀』テーマ)

www.youtube.com

 

この曲は他の番組のBGMにも時々使われている気がするが
視聴者への印象が強いからこそ関係ない番組でも使われるのだろう。

 

 

映像の世紀』のテーマは

一言で言えば重くて暗い曲だった。

けれども二度の世界大戦があり冷戦もあった20世紀という時代をよく表していた。
番組に合う曲だった。

 

 
Tamaさんはポルノグラフィティでもソロでも

「ダークなロック」(あるファンがネットでそういってたので私もこの呼び方を使う)

を多く作曲してきたが

映像の世紀』みたいなドキュメンタリーに合う曲も作れるんじゃないか? 
「今はそういう曲は作る気がしない」なら、作らなくて全然いいのだけれど。
 
 
他にも以下のような曲を作曲してほしい。
 
 
・店内BGM(BGMがいいからあの店に行こう、と消費者に思わせられる曲)
 
・アニメ、ドラマ、映画のサウンドトラック
 
・携帯電話にあらかじめ入っている着メロ
 
・駅の発車メロディ(いわゆる駅メロ)
 
・作業用BGM(Tamaさんの曲である『Drift』をかけながら掃除するとはかどるというコメントがあったため)
 
 
「BGM」「サウンドトラック」「インストゥルメンタル」と名前は色々だが

要するに「歌詞のない音楽」を作曲してほしい。

 


もちろん他アーティストへの楽曲提供(作曲)とか、あれば嬉しいし応援する。
だけど私は「歌」より「歌詞のない音楽」を聴きたい。
 


「白玉雅己って誰?」と誰かに聞かれたときに
「『〇〇』(ニュース番組名)のテーマを作曲した人」

と答えられる未来が来てほしい。

 

作曲家になってほしい。